〈一〉
がさり、と木の葉がざわめいた。
「…………?」
風はない。
それゆえにディマイラは不審に思って、音のした方向へそろり、そろりと足を進める。
彼女は星空を眺めるのが好きだった。
自分の部屋からでも見ることはできるが、広い庭に出た方が格段に多くの星に出会える。
由緒あるグレナジェン家の令嬢が、夜な夜な庭に出るなんて もし家の誰かに見つかったら、例外無くこう嘆くか、怒るかするだろう。
だからこそこんな時間、誰も起き出しては来ないような頃合いを見計らって、外に出る。
……断っておくと、毎晩ではない。あくまで時々、かつ天気の良い夜に限られる。
特に今夜は月も雲もなく、見なければ損と言えるぐらいの星空が頭上に広がっている。
念のため付け加えれば、一応ディマイラも年頃の娘であるので、夜の屋外が全く怖くないわけではなかった。しかしながら、普段もしもの事態を考えて携帯している木刀を手に、今の音の正体を確かめてやろうと考える程度には肝が座ってもいた。
近づく間にも、一定の間隔でガサガサという音は続いている。その発信源であろうと思われる、割合大きな木の下まであと四・五歩という時。
今までよりも確実に大きくしかも派手な葉擦れの音を立てて、木からひとつの影が落ちた。
「きゃっ!?」
思わず悲鳴を上げたが、大声になることは辛うじて防いだ。そして……目の前の地面に転がっているものを見る。
人間だった。
体つきや背の高さから、男だと見当はつく。
うつ伏せに倒れたままで、しばらく待ってみても微動だにしない。
(まさか、ね……)
死んでるんじゃないかと不安を覚えて、試しに木刀でつついてみる。
反応なし。
軽く叩いてみても声をかけてみても同様なので、思い切ってさらに近づき、肩をつかんで揺すぶってみる。その時見えた横顔に、ディマイラは息をのんだ。
(この人 )
そう思うと同時に、相手がかすかに呻いた。無傷の顔をこちらに向け、目を開く。
「……あれ、ひょっとして……ディラ?」
愛称で呼ばれ、確信する。この人物は。
「やっぱり、あなた……ロディー?」
戸惑いを隠せない口調の問いに、相手は腹立たしいほど無邪気な微笑で応えた。
何にせよ、この状況下で放っておくわけにもいかない。他に選択肢も無いので、ともかく自分の部屋に連れて行った(幸い怪我一つしてなかったので、本人に歩いてもらって) その道中の緊張は並ではなかったけど。
ついでに言えば。
「あのさ。その物騒なもん、どっか置いとけば?」
こちらが勧める前にさっさと椅子に腰を下ろしたロディーが、ディマイラの手元を見ながら言う。
飲み物を入れる用意をしつつも、まだ木刀を持っているからであった。間髪入れず言い返してやる。
「だって、こんな時間に若い男女が同じ部屋、なんて危ないでしょう」
「危ないって……イトコだろ」
「ええ、そうよ」
だからこそ、とわざと強調してやって、
「きちんとすべき所はしておかなくてはいけないと思うわ。そんなことより あなた、いったい今どこで何をしてるの?」
聞いた途端、露骨に相手の表情がこわばった。
「いや……まあ、それは今は保留ってことにしとこう。な?」
「『な?』じゃないでしょう、家出人さん。あなたが何も言わずにいなくなってしまって、しかも三年も音沙汰無しで、周りがどれだけ心配したか してるか、考えたことある?」
「家出人」はわざとらしく首をすくめ、視線を逸らした。
「そりゃまあ、ちょっとは」
「ちょっと? あのねえ……」
暢気な物言いにまた腹立たしくなってきて、ディマイラは一度言葉を切り、深呼吸した。
そして再び口を開く。
「叔父さまはますます気難しくなられて、いまだにお部屋に閉じこりがちでいらっしゃるって……ちゃんとこっち向いて聞いてちょうだい。それに叔母さまも、何かあるたびにあなたのこと思い出して泣いてらっしゃるし。『ストラド伯爵家の一人息子ロデオン出奔』について、まだ口さがない人たちも多いのよ」
世間の噂をひとつふたつ簡潔に話しているうち、ロディー ロデオンはあからさまに嫌悪感を顔に浮かべた。
「余計なお世話だよな。だから俺は嫌いなんだよ、貴族って人種は……先祖にだってろくでもない奴らがゴロゴロしてる家系がほとんどだぞ。ましてや今の連中の、どこがそんなに偉いっていうんだ?」
心底イライラしている、と言いたげな口調。こういう時、ふたつ年上の従兄は、自分も話してる相手もその一員であることを脇に追いやっている。そう知ってたから、ディマイラは何も反論したりせず、黙って聞いていた。
「それが鬱陶しくて付き合いきれなかったってのに……ま、そう言って通じる奴らじゃないけどな」
ぼそりと付け加えてから、思い出したようにロディーは顔を上げ、慌てて言った。
「あ、念のため言っとくけど、全部が全部そうだって思ってるわけじゃないぞ。一応うちの親は……まあちょっと頭が固いとこはあるけど、尊敬に値すると思ってるし、おまえの親も」
「わかってるわよ」
紅茶を入れたカップを差し出しながら、ディマイラは答えた。自然と微笑が出る。
彼の貴族批判は今に始まったことではない。子供の頃から幾度となく繰り返され聞かされた「口癖」だった。そんなことはとっくにお互い、よく知っていることだ。
【 → 以下『星降る夜の頃』本編へ続く】