第1話『月明かりの道』(お題「月」)

 

 夜道の明るさにふと、空を見上げる。

 仕事帰りの疲れた目に飛び込んでくる、白く丸い月。

 柔らかな、けれど鮮やかな光が目にしみて、少し痛いぐらいだ。でもその痛みがなぜか心地いいから、目を離せない。

 

 「変なこと言うなぁ。もしかしてM?」

 

 初めてその想いを打ち明けた時、あの人はそう言ったっけ。

 

 「ていうかさ、前触れなしにいきなり立ち止まんのやめなよ、危ないから」

 

 何度そう注意されても、ちっとも直せなかった。

 夜空の月、雨上がりの虹、夕焼け空に飛ぶ鳥の群れ、夜明けの星。見つけてしまうと目を離せなくなってしまう私に、呆れたのかあきらめたのか、いつしか付き合うようになってくれた彼。他の人や車の邪魔にならないようさりげなく脇に移動させて、私が飽きて我に返るまでずっと隣にいてくれた。

 

 ――けれど、いなくなってしまった。交わした約束よりもずっと早く。

 失われた日のことを思い返すと、今でも胸が痛む。月の光が目から喉へ、肺の中に染みとおって、つめたく冷やされるような心地を覚える。

 世界が凍る錯覚に陥る私の意識を、引き戻す声。

 

 「やっぱりまただ。もう」

 

 呆れと少しの憤り、それ以上の心配を含んだ声は、私の心を温かく満たしていく。

 

 「今日は早いって言ったのに、遅いから見に来たら。いいかげん気をつけなよ」

 「そんなに遅くなってないわよ」

 「何言ってんの。もう9時過ぎてるよ」

 「え、そんな時間なの?」

 「……まったく、もう」

 

 その表情も、言い方も、声も、とてもよく似ている。最近特にそう思う。

 

 「いつかほんとに事故に遭うよ。月がきれいでぼーっと見上げていたから車に轢かれました、なんて連絡受けんの嫌だよ俺」

 「うん、ごめんね。気をつける」

 「……なに、素直じゃん」

 「私はいつも素直だけど?」

 「どこが、……。まあいいや、とにかく帰ろう。メシ作ったからさ」

 

 つながれる手はあたたかい。嫌がった時期もあったのに、いつからか自然に、そうしてくれるようになった。知らず微笑みがもれる。

 

 「なに?」

 「ううん、別に――私の方が子供みたいだなと思って」

 「子供より危なっかしいじゃん母さん。目え離せないよ」

 

 その言葉に、もっともだと思うより先に吹き出してしまった。全く同じことを、結婚前にあの人にも言われたから。

 本当にこの子は、父親によく似てきた。手のひらの大きさも背丈も。

 

 ――あの人もどこかから見て、同じように思っているだろうか?

 

 「ごめんね、早く帰ろう。ごはん冷めちゃうよね」

 「とっくに冷めてるって。でもすぐあっためるからさ、母さんはちょっとでも休んでなよ」

 「うん、ありがとう」

 

 家までは、もうすぐだ。街灯の光が強くなった道を、けれど変わらずに世界を照らす月明かりを感じながら、確かにそばにある温もりと幸せを噛みしめた。

 

                                   −終− 

 

 【 → 以下『四季折々 -二-』第2話へ続く】